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【雑記】刹那に消えゆくバイク世界

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【雑記】刹那に消えゆくバイク世界

◆中免を取得するまで

昔、なんだったかの雑誌の裏表紙の広告に、カワサキZX-10R、ZX-12Rの広告が掲載されていた。(2000年ちょいの話なので、ZX-9Rも一緒だったかも知れない)
とってもカッコ良かった記憶がある。
自分にとって、バイクに憧れはじめたのはそこが始まりだった。

仕事の都合もあってなかなか二輪免許を取るゆとりはなく、気がつけば何年も経って自分は若者とは言えない年齢の人間になっていた。
まぁ、この時点で察しておけという話ではあるが、バイクというのは日常生活にそうそう必要になるものではなく、欲しくなる動機はなかなか訪れないのである。
それでも当時の憧れを捨てることはできず、中堅社員になるかならないかの頃に、当時の派手な残業もかえりみずに普通自動二輪免許を取得した。


◆中免取得後

2010年代後半、初心者に一番優しいバイクは250ccの万能スポーツバイクだった。
冒頭に書いた通り、自分はカワサキのバイクに憧れてこの世界の門を叩いたクチだったので、迷わずカワサキ、のニンジャ250を選んだ。
バイクを新車で買うなどという贅沢に浴した訳だが、とても素敵な体験だったのを覚えている。
新品のニンジャのエンジンは非常にスムーズに回り、普通に運転するには何一つ不自由のない、素晴らしい多目的バイクだった。
バイクは素晴らしいと思っていたし、純正のマフラーである限り音もうるさくなかったため、近所迷惑にはなっていない(?)という自覚もあったように思う。

250ccクラス(要するにアンダー400クラス)を筆頭に、若い人もバイクを乗っていると思っていたし、今後も増え続けるものだとも思っていたのはこの時期までだった。


◆現在

バイクにまたがるようになって5年も6年も経てば、ちょっとは周りのことも見えてくるようになる。
世の中には、「法律にさえ触れなければ、どんな爆音のマフラーに換装しても構わない」という、快楽至上主義の人間がライダーをやっていることがある。そしてその確率は馬鹿にできないほど高い、という現実が存在する。
古いバイクは特にそうだが、騒音規制にはかつて逃げ道があって、社外品を筆頭にその逃げ道を使って、「一般人が耳にしたら発狂したくなるほど爆音だけれど合法^^v」という代物が大量に出回っていた時期があった。その世代までのバイクについては今もそれが適用されているし、それを知った上で、当事者たちは確信犯的にソレを求め続けている。

それがもたらす結果は、どんなアホにだって分かるものだった。

少し調べれば、爆音マフラーを装着した自称合法マフラーのクソバイクがどんな目で見られているか、山のような回答が見つかることだろう。
それによって導かれる結論は、バイクという存在自体の否定なのだが、その日その日の快楽に溺れる自己中心的なライダーたちにはそんなことは目に入らない。
今日その日に、自分自身が気持ちよければ、その道中を通過する住宅に住む住民のことなど、結果として割を食う後続のライダーのことなど、どうでも良いのである。


”バイクはうるさい”

という評判は昔からあるが、今ほど苛烈に言われてはいなかったと思う。
これは、バイクが流行した1980年代~2000年初頭までは比較対象の4輪自動車のほうも騒音レベルが高く、2輪が槍玉に上がりにくかったことも影響していたと考えている。
ガバガバだった昭和53年度排ガス規制の終了、騒音規制の強化に伴い、4輪自動車は劇的に静粛性を高めることになった。現在発売されている新車の静けさは、S53以前の排ガス規制車とくらべたら静寂そのものと申して構わないほどだろう。
その結果として、(合法にうるさいマフラーをつけ続けるエンスーライダーのおかげで)いつまでたってもブンブンうるさいバイクが異様に目立ったことで目の敵にされ、社会の敵、いわゆるパブリック・エネミーみたいな存在に成り下がってしまったのだと思っている。


そんな嫌われ者バイクだが、今でも私はバイクが好きだ。
現在のモデルで純正マフラーであるならば、紳士的な静粛性を保ち、乗り心地にもすぐれる。
これまでの2輪自動車のノウハウを蓄積し、牽引してこられた大手メーカーの技術が惜しみなく注ぎ込まれた最先端のバイクは、未経験者にこそお勧めしたい魅力を放っているのだ。

だけれど、現実問題として、サーキットのレーサーよろしくレブリミット付近までスロットルをブンまわし、意味もなくコールを切ったりローリングしたりするアスホールなオッサン(そう、悲しいことにオッサンばっかり)が山にホイホイ集結することを思えば、走る場所がどんどん限られ、しまいに禁止されてしまう結末になっても致し方ないのではないか、とも思っている。

こんなことを書くくらいだから、実際何度か注意もしているのだが、アホな運転をするライダーほど話を聞かず、他人のことなど知ったことではない、という自己中心的、かつ刹那的な性格の持ち主であることが殆どだった。そして話を聞かない奴らの9割はオッサンなのだ。
こんな悲しい現実はない。


非常に残念だが、現段階ではライダーとバイクは「公共の敵」であることから逃れ得ることはかなわず、
何年後かは分からないが、最後には居場所を失い消滅する運命にあるのではないか、と個人的に予想している次第である。


バイクが普及しないのは、単に3ない運動だとか駐輪場事情とかのせいではない。
元気にバイクのスロットルをブン回しているオッサン連中がその意味に気が付かない限り、きっとオッサン趣味のまま老化していき、最後にはガイキチジーサンの暴れ馬に成り果てる・・・と思っている。



けど、ひょっとしたらそれこそがバイクらしい結末なのかもな。
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