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ねぎみそは、おいしい(゚∀゚)

バイク・車の騒音を抑える努力をしていますか。

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バイク・車の騒音を抑える努力をしていますか。

以前もバイクの騒音について少し書いた。
民家のそばで不必要にコールを切るな、高回転までブン回すな、と書いたが、もう少し日常的に思うところを書き散らしておこうと思う。


結論を書くが、要するに車であってもバイクであっても、エンジン音を抑える自発的な努力はいつ何時であっても必要だ。様々な理屈を差し置いても、だ。
言い換えると、それが旧車会の好むコールであっても、マフラーの芯抜きであっても、ハーレーのアイドル回転数の改造であっても、スーパースポーツ系の鋭い高回転であっても、民家にとっては等しく迷惑なんであり、法に反していなくてもそれは変わらないのだ。
自宅の隣近所の騒音は不愉快でしょう?
よそのおうちが迷惑被るのはOKで、自分の番になったら御免被る。そんな事がまかり通る訳はない。

コールかっけえな!と思えるのは、そう思える人々だけであり、ハーレーのVツインの重低音をクールと思うのは、そう思える人々だけなのだ。
どんな音であっても、それが例え法規制の枠内であったとしても、うるさい音はうるさい音なのであり、それ以上でもそれ以下でもない。

じゃあどうすればいいんだ?
何をしたら許されるんだ?
当然、そう考えるとおもう。
何が正解かなんて人によって変わるのだから、厳密なルールブックなど存在しえない訳だが、個人的に思うところを書いてみたい。


①法規制にあぐらをかくべからず

 法規制は、知られている通り昔の規制ほどゆるい。新たな規制は過去に遡っては適用されないため、昔の車・バイクほど規制がゆるく、今では考えられないレベルの騒音でも法的には許される、という事になる。
 車の場合、昭和50~53年度の排ガス規制法施行よりも前のものは、今の基準で言えば排ガス浄化、および騒音対策はザルも良いところであり、最早存在自体が迷惑というレベルに達している自覚を、オーナーは本来持つべきなのである。ところが法律を守ってはいるためか、それら旧車に乗る諸氏が自発的に静音に寄与する浄化装置を取り付けているのを見たことはない。

 誤解を恐れずに申せば、触媒のない状態のメカノイズ全開のエンジン音には、人をその気にさせる高い煽動力がある。それもそのはず、出ている音は性能的な違いこそあれ、F-1やその他レース車両が出しているそれと同じだからである。それを愛好する方々がいらしても自分はおかしいとは思わない。が当然ながら、そのような車両は結果として、無視するには余りに強烈な騒音を放つ事になる。スロットルを絞れば良いというレベルではない。例え法に反していなくても、現代の車が夜間発進しても誰も怒らないことを思い出し、自身の乗る車の放つノイズがどう思われているか多少でも想像すれば、少なくとも休日の朝っぱらから爆音で民家のそばを駆け抜ける、なんてことはしなくなると思うのだが、どうだろうか。

 それとも、よそのことなど知ったことではない・・・!?


②騒音を立てて良い公道は、殆ど無い
 身も蓋もないことを言ってしまえば、国内に「存分に騒音を撒き散らして構わない場所」は、殆ど無いと言っていい。
・熱海抜けた!箱根!全開→ブッブーー
・伊豆入った!西だから大丈夫!→ブッブーー
・関ヶ原突入!全開→ブッブーー
・高尾抜けた!全開→ブッブーー
・青梅市内抜けた!全開→ブッブーー・・・
特に関東圏については、どうしようもなく人が集まり、どんな辺境にも集落が出来ている。

当方が比較的よく通う奥多摩を例に挙げてみよう。

奥多摩エリアは、広義には青梅市内の西端から、西多摩郡奥多摩町全域~山梨東端あたりを指して呼ばれるが、夢も希望も無いことを申せば、このエリアにはどこにも人里と呼べるゾーンがある。
さすがに奥多摩駅を過ぎてからは民家もまばらになるが、西東京バスが小菅まで運行している事から判るように、県境~山梨まで人里というものは存在する。

どこにでも人がいて、そこでは音に気をつけろという。
じゃあどこでブン回せばいいのか!
暴走(はし)って良い場所など、無いというのか!


→その通り。(無慈悲)



前提が間違ってる。
辺境にきたらぶっ飛ばせる、スロットルブン回して良いという発想が誤りである。
70s80sの乗り物、オレ個人は嫌いではないし、マッハIIIのように大好きなものもあるが、一般人からしたらそれは、下利便サウンドでしかない。
キミは土日の早朝から、下利便の音をわざわざ辺境で、大ボリュームで放ちにきたのか?(下品でスミマセン)
同じ事はハコスカやS30Z等、旧車と呼べるものの殆どに当てはまる。
良い年こいて、朝の7時8時に、民家が曲がりなりにも点在する峠道を、一般人からしたらただうるさいだけのゴミ車で爆走して、恥ずかしいとは思わないのか?
自分さえ楽しければ、それで良いってのか?

個人的に言わせてもらえば、コールを民家の目の前で切るクズ共よりは若干マシといった程度である。
年をとると、恥も外聞もなくなるのかね。
情けない限り。



③同類と群れている時には要注意

仮に、キミが崇高な思いを以て、「ツーリング先で騒音を撒き散らしてはいけない」と堅く心に誓ったとしよう。
その素晴らしい心掛けは、集団の輪の中に混じったとたん、残念ながら色褪せて溶けてしまう。

昔あった素晴らしきヤンキー漫画「特攻の拓」で、主人公の拓チャンが族の集会でメンバーに誘われて、普段の彼なら関わりもしなかったであろうシンナー(作中では"アンパン"という隠語だった)を吸いかけるシーン、まさしくあんな感じ。

人は、群れているとつられてフラフラしてしまう。
どんなに強く思うことがあっても。
それが仲間の影響で、いとも簡単に瓦解する。

個人的にはマスツーリング等には興味が湧かないクチだが、きっとグループでキャンプしたり走ったりするのは楽しいのだろうな、と思う。けどなんでだろう、人は同類と群れていると、浅ましくも強気になる。このことは、グループがどんな集団であったとしても同じなのではなかろうか。

幸いにも拓チャンは、その直後、マー坊くんに見つかり、"アンパン"をやらずに済んだ。
誰にでもこういう救いがある訳じゃあない。



④全てに気をつけていたとしても、結局は思いやりである

言いたいことは、要するに「ルールさえ守れば良い訳ではなく、地元民の尊重」である。
極端な話、非合法の爆音マフラー搭載車であったとしても、必死に音を出すまいと四苦八苦してノロノロと民家を抜けていく車がいたら、ひょっとしたら許されるかも知れないのだ。逆に、世間的には乗り物の模範生ナンバーワンと思われるプリウスやリーフなんかであっても、地元ナンバーの車や歩行者を蹴散らすクズ車は、不思議な力で死ぬことになるだろう。
乗り物は言葉を発しない。
乗り物は怒りもしないし、笑いもしない。
しかし不思議なことに、運転手の考えていることを周囲に寸分違わず伝えてしまう。

感情がどす黒くなったときに、思い起こしてみることをお勧めしたいポイントである。



ルールは人間社会の理を定義するものではなく、方向性を示唆するために存在するものだと思っている。
制限速度30km/hの道は、30km/hを死守することよりも、30km/h制限に指定された理由を考えるほうがよほど大事なのだ。


願わくば、ルールにあぐらをかいて傲慢になり、そのまま墓場まで変わらない人間に堕ちるより前に、方向転換出来る人間が1人でも増えることを期待したい。












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